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一茶の散歩道

 一茶の散歩道 

大悲殿の脇から入ることができます。
湯田中駅からかえで通りを上り、途中湯宮神社のところから入ることもできますが、大悲殿の脇からのほうが下りになるので楽。整備されてはいますが山道なので、履きなれた滑りにくい靴でお出かけください。

小林一茶
小林一茶は、長野県の柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)の出身です。
湯治のためにたびたび湯田中を訪れては、句会を開いたり旅館の主人や近隣の村人に俳句を教えたりしていました。
一茶が湯田中滞在時に散歩したであろうといわれている道を「一茶の散歩道」と名付け、30分程度で回れる散歩道としました。散歩道にはところどころ全15の一茶の句碑が建てられています。

一茶
宝暦13年5月5日(1763年6月15日)- 文政10年11月19日(1828年1月5日))

一茶の散歩道内・周辺のスポット

一茶堂
昭和31年(1956年)、一茶没後130年の年に一茶の散歩道の中腹に建てられました。

相生の松

雨含の末から一茶堂に向かう間の左側にあります。太いほうは直径約50センチ、寄り添うように生え、高さ4メートルくらいのところで合体しており、H型になっています。
松の木が自然にこのような形になるのは大変珍しいそうです。おそらく若木のときに太いほうの枝が風に揺れ、細いほうの幹を削りくっついたのだろうと考えられています。
二人が寄り添ってしかも途中で一つに結ばれているのは大変縁起が良いと、縁結びの象徴として大切にされています。

雨含の松
町の天然記念物であり推定樹齢280年といわれていた赤松の巨木は、枯死と診断され、2011年11月29日惜まれながらも約2メートルの切株を残して伐採されてしまいました。切株前に「平和・安全を見守り続けた雨含の松は使命を終えここに眠る」という看板が建てられています。
翌年、保存されていた子孫の若木2本が根元に植えられ、成長を見守られています。

湯宮神社
湯宮神社周辺は、もともと古来神の御座所として崇拝の場所でした。
1126年(大治5)「温泉をもって民の病気を治せ」とされた言い伝えがあります。
湯神を湯の里の産土神(生まれた土地の守り神・氏神)としてその所在の地を湯宮と尊称し、岩菅山に置く宮を建立して岩菅大権現を祀りました。
1559年(永禄2)武田信玄がこの地に勢力を拡大してきたことに伴い、諏訪社としても参拝されるようになりました。
また湯の神であるとともに、民に農業や医術を教えて安定した生活を営ませたといわれています。
1873年(明治6)諏訪社を湯宮神社と改称しました。
★境内の祭神
 ・ 秋葉社…火防の神
 ・ 神明社…豊作の神
 ・ 地神社…産土の神
 ・ 金刀比羅社…水防の神
金山社、西乃宮も祀られています。

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動き岩
湯宮神社の裏山、湯宮山にあります。
湯宮山は巨岩や巨石が重なり神秘的な聖域になっています。
大きな立ち岩(夫婦岩)は高さ5・5メートル、この立ち岩の東に烏帽子岩(昔公家や武士が被った烏帽子に似ている)ががり、その2つの岩の間から南に突き出た岩が「動き岩」。
この岩の真下に三角岩があって、その上に動き岩がのっかっているため、シーソーのように指でも動くといわれています(てこの原理)。
別名ガマ石。現在では、立石と烏帽子岩と動き岩の間には、木の葉や小石がたくさん挟まり動かないようになっています。
昔、この岩が割れてこの辺りで大きながけ崩れがおき、村人はこの岩が動かないように神様にお願いしました。
そうするとえらい坊さんが来て「御弥勒(おみろく)様を作ってお参りすれば山崩れが起こらない」と言いました。
その通りに御弥勒様を作ってお参りすると、しばらくして御弥勒様のほうから「石が重いから取ってくれ」と声がするので、村人が調べたところ動き岩でした。しめ縄をかけお参りすると御弥勒様の声がなくなり、山崩れも起きなくなったと伝えられています。
夫婦岩と烏帽子岩は神の磐座(いわくら。御座所)とされています。
この間を通り抜け(胎内くぐり)、動き岩を動かすと子宝を授かり、子供たちは健やかに成長するという民間信仰が伝わっています。

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聖徳太子(厩戸皇子)の碑
湯宮山に職人の神として祀られています。
聖徳太子(厩戸皇子)は多くの寺を建立したこと、造仏を盛んに行ったことから、信仰者は大工・左官・畳屋・鍛冶屋・屋根屋・とび職等の建築関係者や、桶屋・木こり・木挽きなどの職人です。
手のひらで叩くと太鼓の音がすることから、別名「太鼓石」と呼ばれています。

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かえで通り(散歩道外)沿いスポット

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梅翁寺
信州新町牧郷の清水寺を本寺とし、元禄時代(1668~1702)浄泉鞍手のとき、薬師如来を本尊に左に日光菩薩、右に月光菩薩を脇侍とし、12支神を祀っています。
明治に入り、上条村に創設された盛名学校を本校とする湯田中支校が梅翁寺境内に設けられ、現在の山ノ内東小学校の基礎となりました。
境内内にある「湯けぶり地蔵」の肩や腰などを湯に浸した手拭いでさすると、温泉のもつ効能が伝わり「ピンピン・シャンシャン」になれるという言い伝えがあります。この梅翁寺にはたくさんの石仏があり、石仏マニアの人はかなり楽しめるかもしれません。
前に足湯もあるので一休みするのにも最適です。

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ギャラリー湯
梅翁寺の斜め向かい、町消防団湯田中詰所と消防車庫が入っている湯田中共益会館に併設されています。
ここは江戸時代の松代藩主 真田家の御本陣があった場所です。
ギャラリーは建物1階正面玄関の入口左側にあり、もともと梅翁寺にあった一茶像も展示されています。
11月まで町在住の画家、児玉一丈さんによる個展を開催中。
北信濃の原風景と風土性を打ち出した作品18点を展示しています。
※児玉一丈 1946年(昭和21)山ノ内町沓野生まれ。23歳で二紀展には初出展、入選。上野の森美術館絵画大賞展に8回入選。現在も精力的に創作活動中。
◆開館時間 午前10時~午後3時 入場無料


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すばらしい作品がズラリと並んでいます

見崎屋
佐久間象山に儒学を教えた松代藩鎌原銅山の定宿。
現存する建物は明治3年の建築で、玄関から奥庭へ馬が通り抜けられるように、渡り廊下が「引き出し式構造」になっています。
玄関入り口にある素晴らしい草書の看板は、勝海舟、山岡鉄舟と並び幕末三舟と称される高橋泥舟の作。
見崎屋は湯田中温泉で最も古い湯治宿のひとつです。

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高橋泥舟書。

湯本旅館 
一茶の定宿として知られる湯本旅館。
一茶が湯本旅館に滞在した日数は合計で152日にもなるそうです。
当時の湯本旅館の主人である湯本希杖氏との交流は深く、一茶の日記や原稿など貴重な資料がたくさん残されています。
湯薫亭(とうくんてい)としてそれらの資料を公開していましたが、施設の管理・来館者の案内などをしていた人たちが高齢になり運営が難しくなったため、昨年2013年11月閉館となりました。

よろづや
江戸時代後期・寛政12 (1800) 年創業。
昭和14年建築の数寄屋造りの建築物「よろづや松籟荘」、昭和28年に完成した「桃山風呂」は登録有形文化財に登録されています。

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よろづや前にある荘厳な造りの「大湯」

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湯田中温泉で最も古くからある旅館が建ち並ぶエリア

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プロフィール

平和の丘公園

Author:平和の丘公園

長野県下高井郡山ノ内町。志賀高原と湯田中渋温泉郷で知られる町です。
問合せ 0269-33-2886

湯田中駅から徒歩25分。

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